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2014/12/24

2014日本島根(4-3)美保神社


接著,我們來到美保神社,參拜完後,還參觀旁邊的青石疊街道及資料館。並在路邊小店吃烤花枝。
我在美保神社買了神鈴與福鎚(可打開,內有2尊小神像)。

高天原一族下到葦原之國向大國主命要求讓渡的時候(國讓神話),大國主命轉向他的2個兒子詢問意見。其中之一便是事代主神。
事代主神平時都在美保關釣魚(美保關燈塔前)當他聽到這事時,第一時間就說應該讓與高天原一族。
在葦原之國讓渡與高天原一族後,事代主神便進入沖之御前的海底,從此地上界便正式成為天津神的世界。
傳說此後沖之御前周邊的海底會傳出音樂聲,沖之御前及地之御前周邊也被視為美保神社的一部份,神聖不可靠近。
除此之外事代主神也跟日本皇室關係緊密,依據古事記上的記載前三代天皇的皇后皆來自事代主神一族。
也因為這段神話,美保神社每年4月會舉行青柴垣(あおふしがき)神事來重現這段神話。
除了青柴垣(あおふしがき)神事之外,每年12月3日的諸手船(もろたぶね)神事也是重點,每年都吸引大量觀光客擠滿這小小的漁村。
三穂津姫命是出雲大社主祭神大國主命的老婆,也是從高天原帶稻穗到葦原之國將農耕帶給地上界的女神。
事代主神則是大國主命的長男神,大國主命有重要的事都會與他商量。事代主神在佛教傳入後又名惠比壽(えびす)(漁業、商業的守護神),因此美保神社也是全國3385間惠比壽神社的總本宮。
據說從神社本殿屋頂上方交叉,稱作千木(ちき)的尾端部分的形狀,可以確認日本神社祭神性別,尾端水平切的是女神,垂直切的是男神。
此外,據說屋頂上水平粗柱位置稱勝男木,又稱鰹木(かつおき),也可判斷祭神性別,奇數為男神,偶數為女神。
全國的神社都一樣,只有伊勢神宮系的神社(以天照大神為主祭神的神社)是例外。

美保神社(みほじんじゃ)は、
島根県松江市にある神社である。式内社で、旧社格国幣中社
事代主神系
えびす社3千余社の総本社であると自称している(ただしこの3千余社は蛭子神系のえびす社とあわせた数であり正確でない。えびす云々ではなく事代主神を祀る神社の総本宮の意と思われる)。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集める。また、「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多い。
祭神:
右殿に
大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。
(三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる)
出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。
創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された『出雲国風土記』の神社台帳に記載される古社である。
延喜式神名帳では小社に列する。
中世より横山氏が
神職を世襲した。近世ごろから「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになった。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。
明治18年(1885年)に国幣中社に列せられ、第二次大戦後は神社本庁別表神社となった。
現在の本殿は
文化10年1813年)の造営。大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれ、国の重要文化財に指定されている。このような様式は文書によると天正年間にその痕跡がうかがわれるが、現在の整備された構造は、文禄五年、吉川廣家が朝鮮出兵で朝鮮にあって立願のため造営をした時まで遡ることができる。昭和3年(1928年)に拝殿以下、現在の神域を完成させたが、本殿を始め拝殿、神門、廻廊、通塀ともに屋根は桧皮葺である。本殿2棟の間に末社・大后社があり、3社5神(大后社 神屋楯比売命,沼河比売命、姫子社 媛蹈鞴五十鈴媛命,五十鈴依媛命、神使社 稲脊脛命)を祀る。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
http://blog.roodo.com/shimane/archives/16358615.html
http://mihojinja.or.jp/index.html










































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