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2019/05/26

2019日本兵庫縣山之鄉(1)



2019.5.20
在不太冷、也不太熱,氣候涼爽的季節裡,我與朋友,從大阪關西機場坐了3個多小時的車,入住日本兵庫縣朝來市的飯店,並開始在這附近遊覽的行程。

感謝十方諸佛神靈護佑。出發前,查到當地天氣預報不是很好。氣候卻一直變化著。行程中除了第二天傍晚有下一會兒雨,其他都是陰天至晴的好天氣,惟早晚氣候溫差大。


我們今天參觀了蓮華寺、歡喜院與生野銀山。

非常感謝朋友的精心策畫,並聯絡當地寺廟住持,為我們安排非常與眾不同的佛寺體驗行程,也非常感謝蓮華寺之住持、歡喜院之住持、長福寺之住持與法道寺之住持,各個住持皆殷勤教誨並開示,更是令我當頭棒喝,獲益許多。

此外,美味的料理,亦讓我們的味蕾得到了滿足。

遠離了城市喧囂,進入了山林暮鼓晨鐘,心,獲得了片刻的休息與澄淨。


蓮華寺








































但馬聖天歡喜院

















色香味俱佳的豐盛午餐



生野銀山


































蓮華寺:
寺宝、弘法大師真筆般若心経により帰命山安養寺とし開創。江戸時代の慶長~元和頃に藤堂高虎公栃尾谷城本居館跡地に重塔を移築改装し赤堂とする。
栃尾山蓮華寺と名を改める。元禄年間に帰農した元高虎家臣の子息が津藩に仕官。それに伴い、山号抹消。享保年間に、西谷山 蓮華寺と再興す。
新縁起を完成させる。
本尊弥勒菩薩は、享保年間(1716~1735)に京都嵯峨野大覚寺塔頭、密嚴院の会下に安置されており嵯峨野大覚寺、峨山権大僧正の了恕により当山に招く。(市指定文化財)
聖観世音菩薩は、平安時代後期の作で檜の一木造である境内、楼閣二層建て赤堂観音堂の六角宮殿に安置される。(県指定文化財)
庭園は、城居館時の濠を江戸初期に亀島を持つ阿字池、江戸中期の先住作による密教曼荼羅庭園、心字池がある。(市指定文化財)
紅梅は日本屈指の古木 樹齢450年~600年。高虎公ゆかりの 『 天正の老紅梅 』(市文化財指定)
藤堂高虎、武功により3000石の知行地を豊臣秀長よりこの地に賜り、築城名手が初めての城、栃尾谷城と天正8年の穴太衆による石垣を有する本居館を完成させる。

佛像
本 堂:弥勒菩薩、馬鳴菩薩、地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天、弘法大師、賓頭廬尊者
赤 堂:聖観世音菩薩、三十三観音菩薩、三十三身、三十三種、多羅観音、不動明王、毘沙門天、訶梨帝母、半支伽大将夫婦、十羅刹女、阿弥陀如来、毘沙門天
護摩堂:不動明王、二童子
地蔵堂:地蔵菩薩/子育・水子
七福神
鐘楼堂
境外堂:薬師如来

靈場
近畿楽寿観音三十三ケ所霊場
但七福神霊場(恵比寿さま)


生野銀山
生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市但馬国)に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山である。

明治新政府が日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山である。

生野銀山は平安時代初期の大同2年(807年)の開坑と伝えられるが、詳細は不明。天文11年(1542年)、但馬国守護大名山名祐豊により、石見銀山から採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まった。

織田信長豊臣秀吉徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山越後)、石見銀山(石見)とともに重要な財源とした。

江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)のを産出した。宝永2年(1705年)には、「御所務山(ごしょむやま)」という最上級の鉱山に指定されている。

慶安年間(1648年 - 1652年)頃より銀産出が衰退し、享保元年(1716年)には生野奉行は生野代官と改称した。江戸中期には銀に換わり、の産出が激増している。

明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められた。

明治22年(1889年)から宮内省所管の皇室財産となり、明治29年(1896年)に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となった。

昭和48年(1973年3月22日、資源減少による鉱石の品質の悪化、坑道延長が長くなり採掘コストが増加し、山ハネなどにより採掘が危険となったことから閉山し1200年の歴史に幕を閉じた。坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達している。

なお、閉山後は三菱鉱業(現・三菱マテリアル)が引き続き銀山周辺に生野事業所を設置し、現在も生野の主要産業となっている。



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